個犬的に楽天を中心にパリーグを見守る為のブログ。
個犬的に見守っているので楽天イーグルス球団・選手とは一切関係はありません。
巨人ナインが、来年1月のキャンプイン前に、キャンプ地の宮崎で合同自主トレを行うことが19日、分かった。外国人を除く1軍全選手が、1月25日から宮崎で合同練習を開始する予定。2年連続Bクラスと低迷する危機感から、巨人では異例の“プレ・キャンプ”を実施することになった。
宮崎で合同自主トレを行う理由を、主将候補の阿部はこう説明した。「新しい選手も入るし、2月1日より前にやるのはいいと思う。顔合わせもできるし、一丸となってやれる」。そのまなざしは真剣だった。ジャイアンツ球場で合同自主トレを行った昨年や、グアムキャンプを行った04年に合同自主トレを行った例はあったが、宮崎に先乗りして全員で合同自主トレをするのは異例だ。低迷するチームに、選手も危機感を募らせている証拠だろう。
施設や宿舎などの関係もあり、練習は1軍選手だけで行う予定だ。阿部は「ジャイアンツ球場も使えるので、空き家にするのはもったいない」と、2軍はジャイアンツ球場で合同自主トレを行うプランを明かした。もちろんベテラン勢も参加する。最年長の工藤は米アリゾナ州での自主トレを例年より前倒しして12月20日に渡米するという。合同自主トレを見越して「(1月)18日には帰国する」予定だという。
合同自主トレ実施は、首脳陣も大歓迎。自主トレがしっかりできていればキャンプ初日からハードなメニューを組め、新入団選手も慣れた状態でスタートできる。原監督は「しっかり準備してくれるのならばありがたい」と頼もしく感じている。V奪回へ向け、一致団結してスタートを切る。***
今の所、まだ小坂が宮崎の方へ確実に行くというソースはありませんけれど、おそらく前倒しキャンプとなったら身体に問題のない場合はそのまま参加という事になるのではないか、と。胃腸炎後のニュースはまだわかりません。治っていれば23日ファン感には出てくると思うのですが。
で次は伊原さんのインタビュー記事。
伊原野手総合コーチ「考える足を持て」「走塁パターン引き出し増やせ」:スポーツ報知
巨人・伊原春樹野手総合コーチ(57)が18日、予定されていた15日間の秋季宮崎キャンプ参加を終え帰京した。キャンプは20日まで続くが、期間中、宿舎ミーティングで走塁面などの意識改革に取り組んだ同コーチは、鈴木、脇谷らを起用して“走るチーム”に変身できると明言。三塁コーチにかける思いや、若手選手への檄(げき)など、スポーツ報知の単独インタビューで熱く語った。
―巨人に入ってみての印象は?
「若い選手はちょっとおとなしいな、という気はしますね。どちらかというと模範生のような選手が多い。伝統の中では仕方のないことかもしれないけど、もっとガンッと出すものがあってもいい」
―今季は走塁ミスが多かった。外(評論家)から見ていて、粗さなど感じたか?
「別に粗くはないですよ。けど、もっと引き出しの中に入れるものを入れたらいいんじゃないかな」
―と言うと?
「例えば走者三塁の場面で、三塁走者が何をするか。これまでは選択肢が2つか3つしかなかったのでは? 3つではなく、10個は入れる。その一つが例えば4番のバント(注1)。『するはずがない』と思って、(心の)準備をしていないから動けなかった。引き出しに(想定されるプレーを)3つではなく、10個入れることです」
―それを夜間ミーティングで教えた。
「そう。頭の中で分かっている当たり前のことでも、いざやろうとするとできない。練習でできないことは、ゲームでできない」
―次を狙う走塁ができなかったのは?
「駒が少なかったから、というのもある。来季はファームから1人か2人、(足の速い選手が)上がってくるようなチームをつくらなきゃいけないでしょ。それは原監督も分かっている。だから、今季も途中から脇谷、鈴木を使ってきた。1、2番が塁に出て主軸がタイムリーを打つ。それが本来の形だから」
―今のメンバーで本来の野球はできるのか?
「鈴木、脇谷が安定すればできますよ。それにはまず鈴木が中堅のレギュラーをとること。谷や高橋由らも危機感があるだろうし、安閑としてはいられない。そういう競争はいいことだと思う」
―鈴木は盗塁王になれる?
「なれるけど、体力が弱いとかがあるようなので、もっと内容のある練習をしたほうがいい、と言いました。これからも腰痛と付き合っていくわけだから。ただやればいい、という時期は過ぎている。100試合出られれば、40、50盗塁はいくよ。彼の力からすればね」
―他に目にとまった選手は?
「それぞれいいもの持ってるよ。三浦は足と肩がある。でも足がただ速いだけではダメ。ベースランニングとか(が大事)。足が大丈夫となれば、1軍が定位置になり、1軍で結果を出せばスタメンで使おうか、となる。岩舘もバントがうまい。吉川は打撃にいいものを持ってる。梅田だって雰囲気がある。伸びれば面白い」
―オフに向け、他に若手に言ったことは?
「巨人のユニホームを着ることが職業。オフとは名ばかり。たまに羽目を外して酒を飲むのもいい。でも、規則正しい生活、食事、睡眠をきちっとやらないと、技術の上がり方も違ってきますよ」
―巨人入りのきっかけは?
「もう直接ね、監督から『協力して下さい』と言われたんです。でも、自分にはまだまだライオンズの色があるものだから(悩んだ)」
―確かに西武のイメージが強い。家族の反応は?
「女房も娘も『巨人に行ったほうがいいよ』って言うんだよ。女房はね、原監督のファンなんです」
―背中を押された。
「それはあるだろうね(笑い)」
―伊原コーチといえば、87年の巨人・西武の日本シリーズでの“伝説の走塁”(注2)が知られている。
「あれで有名にさせてもらい、ありがたい話です。でも、優秀な選手ばかりだったからできたのであってね」
―三塁コーチとしての判断力はどう身につけるのか?
「選手と一緒。いろいろなプレーを勉強していくしかない。始めたころ(86年)は若かったし、精神的に強いものを持っているわけではなかった」
―何かきっかけがあったのか?
「87年におふくろが入院してね。肺がんだった。それまで病気なんかしたこともないから『肺がんなんかになるわけないじゃないか』って思っていた。でも、医者に聞いたら、3か月しかもたない、と。見舞いに行くと強がってね。試合で三塁コーチに立っても、おふくろのことを思うことがあった」
―87年は大変な年だった。
「それで日本シリーズの時、そういうことを思いながら三塁に立っていたら『何だ。自分はファンの前でこんな楽しいことをやっているじゃないか。おふくろがあんなに痛がっているのに、ここでチビることなんてないじゃないか』と思えたんだ。そうしたら、スーッと冷静になれた。それからは第三者的な立場で(試合を)見られるようになった。おふくろからのプレゼントだったと思う。今もついつい我を忘れそうになって緊張しても、おふくろのことを思うとスーッとなれる。だから大丈夫」
―西武監督として原巨人と戦った02年日本シリーズは4連敗だった。
「そういうこともあるよ。本当に強かった。清原らベテランがいて、若手もよかった」
―このシリーズ前には「にっくき巨人を倒す」という発言もあったが…。
「あれは言葉が足りなかった。『全国のアンチジャイアンツにとって(の、憎き巨人)』と言うつもりだった」
―伊原コーチ自身が巨人が憎いのかと…。
「そんなんじゃないよ。言葉が足りなかった(笑い)」
―V奪回に向けて、伊原コーチへの期待、注目度は高い。
「ほんとうは目立ってはいかんのだよ。監督じゃないんだから。原監督を支えて、助けていかなければいけない」
(注1)今年6月18日の楽天戦(東京ドーム)、6回2死一、三塁で4番・李承ヨプがセーフティーバントしたが、三塁走者・鈴木が反応できずに無得点。
(注2)87年、巨人対西武の日本シリーズ第6戦。1点リードの8回2死一塁。西武・秋山が中前安打。伊原三塁ベースコーチは中堅手・クロマティの緩慢な守備を見て、一塁走者・辻を一気に生還させる好判断を見せた。
◆伊原 春樹(いはら・はるき)1949年1月18日、広島県生まれ。57歳。北川工―芝浦工大からドラフト2位で70年、西鉄入団。76年には巨人でプレー。その後、クラウンを経て80年に現役引退。81~99年まで西武でコーチを務め、三塁コーチ、作戦参謀として実績を積んだ。2000年、野村監督(現楽天)率いる阪神でコーチを務め、01年に西武復帰。02年に監督に昇格し、同年リーグ優勝。巨人と日本シリーズを戦った。04年にはオリックス監督を務めた。家族は南夫人と1男1女。(2006年11月19日06時00分 スポーツ報知)
伊原さんらしいインタビューですね。しかし讀賣では選手教育だけでなくてマスコミ教育もしなくてはならなくて大変だ・・・インタビューへの答えもかなり気を使いながらって感じだし。
小坂の小の字も言わなかった伊原さんですけれど、それはいいです。伊原さんは公平な人だし野球には妥協を許しませんからね。でも怒ってても意外と人情派だとは思うんだけど。(で人情派だから余計厳格に厳しく公平に選手を扱おうとしているような。)あれだけ怒ってた川越も立派になったもんねえ。そして育った時にはいないんだよね。損な人だ。(あ、それから今年カープかなんかで話題になった内野5人守備って既に伊原さんがやってます、2004年オリ監督時に。見ていて驚いたよ、負けたけど。)
讀賣に今必要なのは補強ではなくて、伊原さんに野手を・尾花さんに投手を育てさせる事ですよ。もうFAとかトレードによる補強という劇薬は使う必要ないのに。
宮崎で合同自主トレを行う理由を、主将候補の阿部はこう説明した。「新しい選手も入るし、2月1日より前にやるのはいいと思う。顔合わせもできるし、一丸となってやれる」。そのまなざしは真剣だった。ジャイアンツ球場で合同自主トレを行った昨年や、グアムキャンプを行った04年に合同自主トレを行った例はあったが、宮崎に先乗りして全員で合同自主トレをするのは異例だ。低迷するチームに、選手も危機感を募らせている証拠だろう。
施設や宿舎などの関係もあり、練習は1軍選手だけで行う予定だ。阿部は「ジャイアンツ球場も使えるので、空き家にするのはもったいない」と、2軍はジャイアンツ球場で合同自主トレを行うプランを明かした。もちろんベテラン勢も参加する。最年長の工藤は米アリゾナ州での自主トレを例年より前倒しして12月20日に渡米するという。合同自主トレを見越して「(1月)18日には帰国する」予定だという。
合同自主トレ実施は、首脳陣も大歓迎。自主トレがしっかりできていればキャンプ初日からハードなメニューを組め、新入団選手も慣れた状態でスタートできる。原監督は「しっかり準備してくれるのならばありがたい」と頼もしく感じている。V奪回へ向け、一致団結してスタートを切る。***
今の所、まだ小坂が宮崎の方へ確実に行くというソースはありませんけれど、おそらく前倒しキャンプとなったら身体に問題のない場合はそのまま参加という事になるのではないか、と。胃腸炎後のニュースはまだわかりません。治っていれば23日ファン感には出てくると思うのですが。
で次は伊原さんのインタビュー記事。
伊原野手総合コーチ「考える足を持て」「走塁パターン引き出し増やせ」:スポーツ報知
巨人・伊原春樹野手総合コーチ(57)が18日、予定されていた15日間の秋季宮崎キャンプ参加を終え帰京した。キャンプは20日まで続くが、期間中、宿舎ミーティングで走塁面などの意識改革に取り組んだ同コーチは、鈴木、脇谷らを起用して“走るチーム”に変身できると明言。三塁コーチにかける思いや、若手選手への檄(げき)など、スポーツ報知の単独インタビューで熱く語った。
―巨人に入ってみての印象は?
「若い選手はちょっとおとなしいな、という気はしますね。どちらかというと模範生のような選手が多い。伝統の中では仕方のないことかもしれないけど、もっとガンッと出すものがあってもいい」
―今季は走塁ミスが多かった。外(評論家)から見ていて、粗さなど感じたか?
「別に粗くはないですよ。けど、もっと引き出しの中に入れるものを入れたらいいんじゃないかな」
―と言うと?
「例えば走者三塁の場面で、三塁走者が何をするか。これまでは選択肢が2つか3つしかなかったのでは? 3つではなく、10個は入れる。その一つが例えば4番のバント(注1)。『するはずがない』と思って、(心の)準備をしていないから動けなかった。引き出しに(想定されるプレーを)3つではなく、10個入れることです」
―それを夜間ミーティングで教えた。
「そう。頭の中で分かっている当たり前のことでも、いざやろうとするとできない。練習でできないことは、ゲームでできない」
―次を狙う走塁ができなかったのは?
「駒が少なかったから、というのもある。来季はファームから1人か2人、(足の速い選手が)上がってくるようなチームをつくらなきゃいけないでしょ。それは原監督も分かっている。だから、今季も途中から脇谷、鈴木を使ってきた。1、2番が塁に出て主軸がタイムリーを打つ。それが本来の形だから」
―今のメンバーで本来の野球はできるのか?
「鈴木、脇谷が安定すればできますよ。それにはまず鈴木が中堅のレギュラーをとること。谷や高橋由らも危機感があるだろうし、安閑としてはいられない。そういう競争はいいことだと思う」
―鈴木は盗塁王になれる?
「なれるけど、体力が弱いとかがあるようなので、もっと内容のある練習をしたほうがいい、と言いました。これからも腰痛と付き合っていくわけだから。ただやればいい、という時期は過ぎている。100試合出られれば、40、50盗塁はいくよ。彼の力からすればね」
―他に目にとまった選手は?
「それぞれいいもの持ってるよ。三浦は足と肩がある。でも足がただ速いだけではダメ。ベースランニングとか(が大事)。足が大丈夫となれば、1軍が定位置になり、1軍で結果を出せばスタメンで使おうか、となる。岩舘もバントがうまい。吉川は打撃にいいものを持ってる。梅田だって雰囲気がある。伸びれば面白い」
―オフに向け、他に若手に言ったことは?
「巨人のユニホームを着ることが職業。オフとは名ばかり。たまに羽目を外して酒を飲むのもいい。でも、規則正しい生活、食事、睡眠をきちっとやらないと、技術の上がり方も違ってきますよ」
―巨人入りのきっかけは?
「もう直接ね、監督から『協力して下さい』と言われたんです。でも、自分にはまだまだライオンズの色があるものだから(悩んだ)」
―確かに西武のイメージが強い。家族の反応は?
「女房も娘も『巨人に行ったほうがいいよ』って言うんだよ。女房はね、原監督のファンなんです」
―背中を押された。
「それはあるだろうね(笑い)」
―伊原コーチといえば、87年の巨人・西武の日本シリーズでの“伝説の走塁”(注2)が知られている。
「あれで有名にさせてもらい、ありがたい話です。でも、優秀な選手ばかりだったからできたのであってね」
―三塁コーチとしての判断力はどう身につけるのか?
「選手と一緒。いろいろなプレーを勉強していくしかない。始めたころ(86年)は若かったし、精神的に強いものを持っているわけではなかった」
―何かきっかけがあったのか?
「87年におふくろが入院してね。肺がんだった。それまで病気なんかしたこともないから『肺がんなんかになるわけないじゃないか』って思っていた。でも、医者に聞いたら、3か月しかもたない、と。見舞いに行くと強がってね。試合で三塁コーチに立っても、おふくろのことを思うことがあった」
―87年は大変な年だった。
「それで日本シリーズの時、そういうことを思いながら三塁に立っていたら『何だ。自分はファンの前でこんな楽しいことをやっているじゃないか。おふくろがあんなに痛がっているのに、ここでチビることなんてないじゃないか』と思えたんだ。そうしたら、スーッと冷静になれた。それからは第三者的な立場で(試合を)見られるようになった。おふくろからのプレゼントだったと思う。今もついつい我を忘れそうになって緊張しても、おふくろのことを思うとスーッとなれる。だから大丈夫」
―西武監督として原巨人と戦った02年日本シリーズは4連敗だった。
「そういうこともあるよ。本当に強かった。清原らベテランがいて、若手もよかった」
―このシリーズ前には「にっくき巨人を倒す」という発言もあったが…。
「あれは言葉が足りなかった。『全国のアンチジャイアンツにとって(の、憎き巨人)』と言うつもりだった」
―伊原コーチ自身が巨人が憎いのかと…。
「そんなんじゃないよ。言葉が足りなかった(笑い)」
―V奪回に向けて、伊原コーチへの期待、注目度は高い。
「ほんとうは目立ってはいかんのだよ。監督じゃないんだから。原監督を支えて、助けていかなければいけない」
(注1)今年6月18日の楽天戦(東京ドーム)、6回2死一、三塁で4番・李承ヨプがセーフティーバントしたが、三塁走者・鈴木が反応できずに無得点。
(注2)87年、巨人対西武の日本シリーズ第6戦。1点リードの8回2死一塁。西武・秋山が中前安打。伊原三塁ベースコーチは中堅手・クロマティの緩慢な守備を見て、一塁走者・辻を一気に生還させる好判断を見せた。
◆伊原 春樹(いはら・はるき)1949年1月18日、広島県生まれ。57歳。北川工―芝浦工大からドラフト2位で70年、西鉄入団。76年には巨人でプレー。その後、クラウンを経て80年に現役引退。81~99年まで西武でコーチを務め、三塁コーチ、作戦参謀として実績を積んだ。2000年、野村監督(現楽天)率いる阪神でコーチを務め、01年に西武復帰。02年に監督に昇格し、同年リーグ優勝。巨人と日本シリーズを戦った。04年にはオリックス監督を務めた。家族は南夫人と1男1女。(2006年11月19日06時00分 スポーツ報知)
伊原さんらしいインタビューですね。しかし讀賣では選手教育だけでなくてマスコミ教育もしなくてはならなくて大変だ・・・インタビューへの答えもかなり気を使いながらって感じだし。
小坂の小の字も言わなかった伊原さんですけれど、それはいいです。伊原さんは公平な人だし野球には妥協を許しませんからね。でも怒ってても意外と人情派だとは思うんだけど。(で人情派だから余計厳格に厳しく公平に選手を扱おうとしているような。)あれだけ怒ってた川越も立派になったもんねえ。そして育った時にはいないんだよね。損な人だ。(あ、それから今年カープかなんかで話題になった内野5人守備って既に伊原さんがやってます、2004年オリ監督時に。見ていて驚いたよ、負けたけど。)
讀賣に今必要なのは補強ではなくて、伊原さんに野手を・尾花さんに投手を育てさせる事ですよ。もうFAとかトレードによる補強という劇薬は使う必要ないのに。
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小坂&青山ファン。こちらはミラーサイト(ほぼログ保管庫)。
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