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個犬的に楽天を中心にパリーグを見守る為のブログ。 個犬的に見守っているので楽天イーグルス球団・選手とは一切関係はありません。
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11/5に行われて地味に日本が世界ーになり、フジで特集番組(特集コーナー?)とか組まれていたんですが、当時は取り扱い損なって今に至ります。もう10日経っているしニュース性はあまりないかも知れませんが、東西対抗に隠れてしまったニュースとして関連記事をまとめて置きます。

特集番組見た感想としては、スカイマークだったのに決勝以外が非常に空いていたのでもっとお客さんが入ってもいいのになあ、ということ。東西対抗行かない人で野球が好きで暇な人は、知っていたら行った様に思います(ちーぐるすの師匠とか)。まだまだプロ野球ファンの知らない野球がある、という事でとても興味深かったです。

世界身体障害者野球大会:日本が初代世界一に:MSN毎日

神戸市で開かれていた「第1回世界身体障害者野球大会」(日本身体障害者野球連盟主催)は最終日の5日、日本が米国を7-0(六回コールド)で破り、3戦全勝で初代世界一に輝いた。最優秀選手賞には米国戦で完封した大阪府守口市の北村誓二投手(35)=神戸コスモス=が選ばれた。

「マウンドに立てただけでも幸せ」という北村投手。米国打線を2安打に抑え「ジャパン最高」と満面の笑みで喜んだ。同連盟理事長として大会準備に奔走した岩崎広司監督(56)は「実感がわかないけど夢のよう。今までの苦労が報われた。これからも障害者スポーツの発展に尽力したい」と話した。

リーグ戦で日米ともに韓国と台湾を降し、2勝ずつで迎えたライバル対決だったが、日本はチャンスを生かして着実に追加点を重ね快勝した。次回は09年、米国で開かれる。(最終更新時間 11月5日 19時40分)***

日本身体障害者野球連盟:公式(中に大会の写真あり。)

世界身障者野球で日本初代王者:スポニチ
 世界の4つの国と地域が参加して、神戸市で開催された第1回世界身体障害者野球大会の最終戦が5日行われ、日本代表が米国代表を7―0で破り、初の優勝に輝いた。日本代表の岩崎広司監督(56)は「王ジャパンに続けと同じ背番号の89番をつけたかいがあったかな」と笑顔。

29歳のとき仕事中に右腕を失った岡原年秀選手(33)は、興奮で目を赤くして「僕らのプレーを見てベッドの上にいる1人でも多くの子どもたちに身障者野球を始めてほしい」と訴えた。閉会式後、今大会の委員長代行を務める中畑清氏が率いる「28会」と世界選抜のエキシビジョンマッチが行われ、世界選抜が3―2で勝利した。
[ 2006年11月06日付 紙面記事 ]***

「隻腕のイチロー」流れ呼ぶ 高砂の岡原さん:神戸新聞
神戸市須磨区のスカイマークスタジアムで四日開幕した「第一回世界身体障害者野球日本大会」(日本身体障害者野球連盟主催)で、日本代表チームの岡原年秀さん(33)=高砂市曽根町=が韓国、台湾戦にフル出場、計八打席で六回出塁し、日本の二連勝に貢献した。所属先の神戸コスモスでは、片腕での堅い守備や俊足巧打で、“隻腕のイチロー”と呼ばれる。「けがで一度は人生に絶望したが、苦しいときに支えてくれた人たちに、精いっぱいのプレーを見てほしい」。感謝の気持ちを胸にグラウンドを駆け回った。

岡原さんは兵庫県黒田庄町(現・西脇市)出身。県立社高で内野手として甲子園出場を目指し、卒業後も勤務先の野球チームに所属。二十九歳のとき、工場の機械で利き腕の右腕を切断した。入院先の患者にすすめられ、障害者野球の試合を見学。神戸コスモスの選手のプレーを目の当たりにし、片腕や義足でボールにくらいつく姿に心を動かされた。「障害を負って野球を断念した自分がどこまでやれるか、もう一度試したい」と、一昨年三月に入団した。

左腕一本の野球は「ゼロからのスタートだった」と岡原さん。捕球したグラブを素早く外し、ボールを素手に持ちかえる守備動作をマスター。打撃も外野へ鋭い当たりを飛ばせるようになった。初の世界大会。初戦の韓国戦では相手のミスに乗じて先制のホームを踏み、台湾戦では全打席出塁、適時打も放った。「どんな形でも塁に出るという役割は果たせた」と充実した表情を見せた。

 試合後、声援に笑顔で応えた岡原さん。五日には最大のライバル・米国との対戦が控える。「障害を負っても、家族も友人も同僚も、変わらず接して励ましてくれた。観客席で応援してくれる人たちと一緒に戦うつもりで、優勝を目指します」(11/5付け記事)

ひと:岩崎広司さん 「身障者WBC」日本代表チーム監督:MSN毎日
「長年の夢がようやくかないました」。日本の身障者野球発祥の地、神戸で4、5日開かれる「第1回世界身体障害者野球大会」で、日本代表チームを率いる。日本身障者野球連盟の理事長として準備にも奔走してきた。開催を目前に、気分の高揚は抑えられない。

骨髄炎で左足を切断して入院中の69年、慰問に訪れたプロ野球・阪急ブレーブス(当時)の福本豊さんと出会ったのが身障者野球に取り組むきっかけだった。「キャッチボールをしよう」と誘われ、大好きだった野球が頭の中で渦巻いた。81年に身障者野球チーム「神戸コスモス」を結成。すそ野を広げようと、盗塁禁止や打者代走など障害者に合わせた独自のルール作りも手がけた。

93年に連盟を設立。今では全国のプレー人口が約750人、チーム数は30を数える。仕事の一方でチーム指導や連盟の雑務に追われ、娘の結婚式に出席できなかったことも。「家族の理解で、ここまでやってこられた」と振り返る。大会には、3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で世界一になったジャパン代表と同じデザインのユニホームで臨む。背番号は、大ファンの王貞治さんと同じ「89」だ。

米国での次回の開催(09年)も決まり、さらに世界へすそ野を広げたいと願う。「一人で野球をしている障害児童が、世界に大勢いるはず。その子たちの未来に夢を残すためにも、頑張ります」

【略歴】岩崎広司(いわさき・ひろし)さん 神戸市で紳士服製造販売業を営む。「神戸コスモス」監督。56歳。大会は日・米・韓・台湾の4カ国・地域が参加。実行委員長は長嶋茂雄さん。[毎日新聞 2006年11月3日 0時38分]***
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